永遠の夕暮れ

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zoom RSS 真田の六文銭

<<   作成日時 : 2009/08/29 23:38   >>

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 真田家家紋『六文銭』入り湯のみです。実家に寄った折、持ち帰って来ました。
 これは、大学4年の時(1990年)に友達と奈良・京都・和歌山を旅したとき、『和歌山県 九度山の”真田庵”』で購入したものです。
 素朴な湯呑みにさりげなく入った六文銭がいいんですよね。これ。
 (友達が購入した方は、阪神・淡路大震災の時に割れてしまって、とても悔しかったと言っていた)
 紀伊国九度山。
 関ヶ原合戦のおり、真田昌幸、幸村(信繁)父子は上田城を拠点として、中山道を進行する徳川秀忠率いる3万8000人の軍勢をわずか3500人の兵で食い止め、ついに関ヶ原の家康のいる主戦場に到着させなかった。
 見事としか言いようがない。が、運悪く石田光成を中心とした西軍は敗れ、敗軍となってしまう。
 そして敗軍の将、真田父子が蟄居させられていたのがここ。『紀伊国九度山の”真田庵”』

 九度山駅で食べた「柿の葉寿司」がとってもおいしかったのが忘れられません。
 真田庵は、静かな(九度山自体が静かでしたが)お寺で、縁側でご住職に入れていただいたお茶とお菓子をいただきながら庭を眺めたものです。
 ご住職はあっさりとした、話しやすい尼僧さんで、お寺に伝わる伝承を教えてくださったりしました。

 父・真田昌幸は失意の内に亡くなったわけですが、一度、長男の信之(家康の娘(養女)と結婚。後に信濃上田藩主。次いで信濃松代藩主)から送られた酒を飲んだ時「憎い憎い家康のことも忘れてしもうた」と涙したという。
 と、言うことで、飲みなれない日本酒をやっています。
 残念ながら、信濃の酒とはいけず、富山の銘酒、銀嶺立山(本醸造)ですが。

 真田の血統は兄・信之が確保しているとはいうものの、失意の日々を送っていた幸村に最後の機会が訪れる。
 『大阪の冬・夏の陣』である。
 時に、幸村、49歳。苦労を重ねたためか、歯は抜け落ち、髪は白くなり腰も曲がり、山賊と間違われる容貌だったという。
 が、この時から、赤い甲冑に身を固めた軍団の活躍が始まるのである。
 幸村の計画はことごとく主流派から却下され、さぞ悔しいところであったろうが、その悪条件の中でも徳川勢を散々に悩ませることとなる。
 しかし、『大坂夏の陣』。幸村の必死の懇願もむなしく主流派は積極策をとらずジリ貧に陥っていく。敗戦は必至。
 幸村は、最後の華を咲かせる。
 赤い軍勢は、圧倒的な数を誇る徳川勢に突撃。
 家康の本陣まで攻め込み、旗本勢を蹴散らしたうえに家康に一時は自害を覚悟させるところまで追い込む。しかし、多勢に無勢。
 安居神社(大阪市天王寺区)の境内で最後を迎える。

 男として、羨む最後である。もし、あのまま九度山で一生を終えていたならば、さぞ無念だっただろうと思う。
 人の一生は、というか生きた価値は、どう死んだかで決まると思っている。
 無念な思いはあったろうが、それでも最後の意地は、信念は通せた。

 死に時を逃した俺には、この清廉な生き方に心打たれるのである。



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