永遠の夕暮れ

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zoom RSS 今日は、新撰組副長 土方歳三 命日

<<   作成日時 : 2006/05/11 23:09   >>

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」とは、何か?
そう問われた時、真っ先に頭に浮かぶのは、土方歳三
男の生き様=死に様とは何か? 彼の生き様、死に様は、「男とはこうあるべきだ」と強烈に訴えかけてくる。

時代の流れ、勝ち負け、人の評価。そんなものは関係ない。
自分の信じたものを、義を、道を最後まで貫き通す。
己の命を燃やし尽くして、「」を作り上げる。

もちろん、世の中の人間がみんなそんな風にしたら世の中というものは成り立たない。
けれど、思うのだ、彼は正しかった。そして、美しかった。と。

土方は、1835年、武州多摩郡石田村に誕生した。
やがて、黒船が現れ、幕府が先進諸外国と不平等条約を結ぶと、京都で「尊王・攘夷」を掲げるテロ集団が治安の悪化を引き起こすようになる。

当初のいわゆる尊王派は、まとまった組織も思想も持っていたわけではなく、ただ暴力を振るい商人や民家に押し入っては、金品を巻き上げ、暴行を働くような者が多く、反政府勢力などとは言えない、ただのテロ集団であった。

幕府は京都の治安維持のために1863年に浪士隊を募集。
所属していた道場である試衛館の仲間、近藤勇・沖田総司らと共にこれに参加。
新選組を副長という立場で組織して、京都の治安維持の主力として活躍した。

ただ、誤解を招かないために補足するが、土方等の志もまた、「尊王・攘夷」であったことである。
徳川を中心にするか、薩長が天下を奪うかの違いがあるだけである。
皮肉にも、「尊王・攘夷」を最後まで貫き通したのは「新撰組」だけであった。

薩長は、幕府に攘夷を迫りながら、自らは英国などと通じることになる。
また、幼い明治天皇を利用して、政治を欲しいままにした。
日本が近代化し、清のように植民地化されないようにするための手段として必要だったのは確かではあるが。

最後の将軍、徳川慶喜は、有能な人物とされていたが、ことごとく小ざかしい妥協的な策略を打っては裏目に出る。

「鳥羽伏見の戦い」では、一般的に、旧態依然とした装備の幕軍が近代装備の薩長土に蹴散らされたと言われているが、幕府の主力部隊はフランス式の近代装備の部隊だった。
しかも、圧倒的に優勢な戦力を持って。
だが、戦わなかった。逃げたのだ。
そして、近代装備を持たない会津藩と新撰組だけが死力を尽くして闘い・・・そして敗れた。

敗れた、会津・新撰組が大阪城に後退すると、衝撃の事実が待っていた。

裏切ったのだ。将軍が。会津藩主 松平容保を引き連れて、さっさと江戸に逃げたのだ。
実際には、薩長土軍には大阪城を攻略する戦力などなく、いくらでも逆転できた。
だが、将軍は家臣を裏切り逃げた。

こうして、新撰組、土方は坂道を転げ落ちていく。

だが、むしろ、ここからが土方歳三の魅力が発揮されるのだ。

土方歳三は、旧幕府軍の近代装備部隊などと合流。
北関東、会津と転戦。敗戦を重ねるが、それでも、それでも彼は戦い続ける。
仙台で榎本武揚の率いる旧幕府艦隊と合流し蝦夷・函館に上陸する。

洋式要塞 五稜郭を拠点に共和政府を樹立。
榎本は、西洋諸国とも外交戦略を進める。

しかし、日本を2分することなど新政府が放っておくわけが無い。

明治2年5月、新政府軍が上陸。

土方の部隊は果敢に闘い、新政府軍を防ぎ続けたが、やがて函館が陥落。

退路を絶たれる恐れがあるため、五稜郭に退却。

既に敗北は必死であった。
篭城論が優勢な中、明治2年5月11日、土方歳三は最後の闘いに出る。

圧倒的な新政府軍を相手に単騎で奮戦。
一本木の防衛線を突破するも、腹部に銃弾を受け、戦死した。

享年35歳

たった一人で戊辰戦争の最初から最後までを闘いぬいた男の、闘いの終焉であった。

辞世の句は、「たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも 魂は東の君やまもらん」
自分達を裏切った「東の君=将軍」を、死しても守ろうという、最後まで信念を貫いた男であった。

愚かと言う人もいるかもしれない。

けれど、今も彼の墓には、華の絶えることがないのは、我々の心に大事なことを残した証ではないだろうか?

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
土方歳三の命日なんて良く覚えていらっしゃいましたね。
相等のファンですか。
小泉首相も織田信長が好きだとか言っていましたね。
Tatehiko
2006/05/12 19:37

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